2026年1月7日に開催しましたサラ・デイヴィス・ビュクナー ピアノリサイタルは、最終的に本当にたくさんのお客さまにお越しいただき、盛会のうちに終えることができました。ご来場くださった皆さま、気にかけてくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。
そして何より、サラさんの演奏が素晴らしかった――本当に素晴らしかった。
会場全体が大きな熱気に包まれ、あちこちでスタンディングオベーションが起こるほどでした。
「遅すぎた東京初のソロリサイタル」は、大成功と位置づけてよい夜だったと感じています。
サラさん自身、66歳でこの大曲群を弾きこなせるかどうか心配していたそうですが、終演後には「思ったより実力が発揮できた」と、とても喜んでいらっしゃいました。主催者として、その言葉を聞けたことが何より嬉しかったです。
私は今回の公演を、これからさらに多くの人にサラさんの素晴らしさが伝わっていくための“スタートライン”だと思っています。
サラさんは、いずれ大手のマネジメントが扱うべき偉大なアーティストです。けれど「みのりの眼」としては、その未来へとつながる一助を、これからもできる限り担えたらと願っています。
さて、今回はみのりの眼スタッフの感想を以下にご紹介します。
ぜひご覧ください。
そんなに熱心な音楽ファンじゃない。
あくまでも音楽は自分一人ではたどり着けない場所へと連れて行かれるためのツールの一つ。
全く真面目でも真摯でもピュアでもない。
スタッフをしていて良いことの一つは、リハーサルも聴けること。
今回は本番では見られなかった、ビュクナーさんご自身から湧き出るエネルギーの凄さに自らが慄き身震いする瞬間に居合わせた。
ご自分でそれをコントロールしているんじゃなくて、湧き出るがままに、もっと大いなるものの自動操縦に身を任せているんだと思った。
それを本番の演奏からインスピレーション受けて知り得るんじゃなく、リハーサルで先に種明かしされてしまった。
これは良いものか悪いものか。
緻密な設計の精密機器(楽曲)に物凄い量のピュアなエネルギーが通電する様を見たようだった。
そしてそのエネルギーの質は、組成が単純であるからこそ硬度の高い鉱物のよう。
一度そういう演奏を聴いてみたいと思っていた。
精密な設計にピュアなエネルギーが通電するだけでも美しい。
でもその量が人のコントロールを超えた量をぶっ放してみたらどうなるんだろう?って。
今日はその場に居合わせた。
最後のアンコールも外連味など全くなく、目の前で仕留めて捌いたばかりのジビエ肉を食べた後の、野草のお茶のようだった。
そこになってる野菜や果物をただもいで食べたり、そういうものを食べる時って、もう何も言えなくなっちゃうのに近い。
いきなり滝行に放り込まれちゃうみたいなコンサートだった。
私、最初から最後まで何一つ音楽のこと言ってないね。
私はビュクナーさんとは真逆でグジグジウジウジ思い悩むタイプで、複雑になり過ぎて強度が出ないタイプ。
だからこそああいうピュアで強いエネルギーが昇華した表現に惹かれる。
そういうのは全身全霊で体当たりする凄く若い人の演奏と、何か重荷を捨てた人のどちらかかもね。
好きとか、憧れるとか、そういう気持ちが素直にある時、人間はその対象に勝手に同期し始める機能があるみたい。
今日の演奏に同期した結果、もっと強く単純に正直に生きても良いんだな、という気持ちが伝播したコンサートだった。
Googleマップによると会場から自宅まで徒歩27分。
いつもは牛歩な私でもそんなにかからず、エネルギーの伝播で羽が生えて飛ぶように歩いて帰った。




