みのりの眼

お知らせ

バッハ / グリュッツマッハー無伴奏チェロ組曲 全曲演奏会 vol.1(2025.6.6)

グリュッツマッハーによる『コンサート版 バッハ 無伴奏チェロ組曲』と出会ったのは、4年前、イギリスの大学院で修士論文に取り組んでいた時でした。その楽譜には、時に原型を留めないほど自由な装飾が加えられ、ロマン派のエッセンスに満ちたその書き込みに驚愕したことを覚えています。

いつか19世紀の演奏美学を自分のものにし、この版を演奏してみたいと思っていましたが、ついにその機会を得られたことに胸が高鳴っています。

19世紀の音楽の大きな特徴の一つは、演奏家自身の解釈が演奏に色濃く反映されていたことです。
たとえば、「わたしはこの作品をこう解釈する」といった演奏家それぞれの考えが、時代の流れの中でロマン派音楽における演奏習慣となっていきました。
その背景には、作品が広く出版されるようになり、楽曲が作曲家の手を離れていく中で、演奏家の個性がより重要な役割を果たすようになったことがあるのかもしれません。
このグリュツマッハー版も、そうした時代の流れを象徴する一例と言えるでしょう。

この演奏会では、19世紀の演奏家の眼を通した18世紀の作品を、21世紀の演奏家と聴衆が共に楽しむという、非常に珍しい体験をお届けします。この『コンサート版』が生み出す、独特の音楽世界を、ぜひ会場でご体感ください。
(山根風仁)

【プログラム】
・J.S.バッハ / F.グリュッツマッハー 無伴奏チェロ組曲 第1,3,5番

全席自由 4,000円
日程:2025.6.6(金) 19:00開演(18:30開場)
場所:鶴見区民文化センターサルビアホール 音楽ホール

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アビゲイル・ヤング & フレンズ in 東京

 

オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のコンサートマスターとして大活躍しているイギリス人ヴァイオリニスト、アビゲイル・ヤング。
彼女が選りすぐりのメンバーを集めじっくりと作り上げる、比類ない室内楽コンサートがいよいよ東京にやってきます!

プログラムは彼女のルーツであるイギリスの作曲家、エルガーとフィンジの作品で構成しました。
我が国ではあまり馴染みのないイギリス音楽の真の魅力が、高いクオリティの演奏によって、存分に感じられることでしょう。

本国イギリスにおいてはもちろん、日本でも高く評価されるアビゲイル・ヤングとその仲間たちが作りあげる、極上の音楽をぜひ体験しにいらしてください。

【プログラム】
・エルガー:ヴァイオリン・ソナタ
・フィンジ:間奏曲(オーボエ、弦楽四重奏)
・フィンジ:エレジー(ヴァイオリン、ピアノ)
・エルガー:ピアノ五重奏曲

出演】
 アビゲイル・ヤング(ヴァイオリン(OEKコンサートマスター))
 江原千絵(ヴァイオリン(OEK第2ヴァイオリン首席奏者))
 山本一輝(ヴィオラ(クァルテット・インテグラ))
 植木昭雄(チェロ(OEKチェロ首席奏者))
 藤田めぐみ(ピアノ)
 吉井瑞穂(オーボエ)

全席指定  一般:5,000円  学生:2.500円 (イープラスTEKETトッパンホールチケットセンターなど)
日程:2025.5.20(水)19:00開演(18:30開場)
場所:トッパンホール(東京都文京区)

 

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加藤訓子コンサートレポート 2

加藤さんの演奏を聴くのは、お恥ずかしながら初めて。
80分休憩なし、こんなに長い時間マリンバのソロだけを聴いたのも初めて。
厳かなバッハから始まり、現代の都会の街の雑踏の中にいるようなライヒ、そして打ち込みのようなリズムの現代曲が続く。
CDで音だけを聴いていたら、おそらくデジタルの打ち込みの音楽だと思ってしまうかもしれない。
それを眼の前で、アスリートように筋肉の引き締まった奏者が、人の手によって生の音を奏でるのだから、目と耳と頭が若干混乱してくる。
だが、だんだんと引き込まれて夢中になる。
連続した音の永続性の中で徐々に意識が朦朧とし、こちらはすっかり身体の存在を忘れて、うっかりトランス状態に入りかけて自己喪失しかけてしまっているというのに、演奏は録音と合わせてピッタリと終わる。
一流の奏者には当たり前かもしれないけれど、その凄さに驚く。
そして聴き慣れた人にはこちらも当たり前のことだろうけれども、曲間や曲の途中にマレットを持ち替えると、その色や大きさにより、音色が異なることが初心者には面白く、子供心がワクワクしてしまう。
超低音のバッハなど、選曲も演奏も随分とビターで甘ったるいところが一切なく、嘘のない現実を突きつけられる厳しさと共に、何故だかそこに深く安堵する。
そして後半はホッと息をつける救いのある曲が並ぶ。
本当になんとよく練られ、考え抜かれたプログラムだろう。
それでもやはりそこにも嘘くささや甘ったるさは皆無。
演奏を聴きながら、加藤さんはご自分の音楽ににごく個人的な日常体験や感情を持ち込まない演奏家なのではないかと感じます。
だから卑小な「我」の音楽ではない、もっと大きく超越的な世界があり、そこに普遍性と説得力がある。
言葉や文化が違う相手にも伝わる、真実の音楽。
全ての演奏が終わり、素のお姿でご挨拶されると、演奏とはまた違う、明るく元気な、現代に生きる血の通った1人の人間の一面も垣間見え、そのギャップにちょっと驚いてしまう。
全曲通して、どこかグレゴリオ聖歌の響きの中にいるような、世俗的ではない心地の良さがあり、エストニアの教会での演奏を思い出されていたとのお話でした。
ご本人も仰っていましたが、80分があっという間に過ぎ去ってしまい、奏者も観客も、どこか別の場所に連れて行かれ、そこで精神を洗われて戻されるような、終わってしまうのは惜しいけれども、心も身体も晴れやかでさっぱり。
そんな80分でした。
嘘や誤魔化しのない容赦のない世界。
それは現実や日常から乖離したものであるからこそ、あるべき理想であり、誰もが目を背ける真実でもあります。
それを音楽で具現化したものを体験したと思います。
これもまた現代の祈りの音楽の一つなのかもしれません。
またぜひ第二弾もあることを!
文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ)

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加藤訓子コンサートレポート

加藤さんの演奏を聴くのは、お恥ずかしながら初めて。
80分休憩なし、こんなに長い時間マリンバのソロだけを聴いたのも初めて。
厳かなバッハから始まり、現代の都会の街の雑踏の中にいるようなライヒ、そして打ち込みのようなリズムの現代曲が続く。
CDで音だけを聴いていたら、おそらくデジタルの打ち込みの音楽だと思ってしまうかもしれない。
それを眼の前で、アスリートように筋肉の引き締まった奏者が、人の手によって生の音を奏でるのだから、目と耳と頭が若干混乱してくる。
だが、だんだんと引き込まれて夢中になる。
連続した音の永続性の中で徐々に意識が朦朧とし、こちらはすっかり身体の存在を忘れて、うっかりトランス状態に入りかけて自己喪失しかけてしまっているというのに、演奏は録音と合わせてピッタリと終わる。
一流の奏者には当たり前かもしれないけれど、その凄さに驚く。
そして聴き慣れた人にはこちらも当たり前のことだろうけれども、曲間や曲の途中にマレットを持ち替えると、その色や大きさにより、音色が異なることが初心者には面白く、子供心がワクワクしてしまう。
超低音のバッハなど、選曲も演奏も随分とビターで甘ったるいところが一切なく、嘘のない現実を突きつけられる厳しさと共に、何故だかそこに深く安堵する。
そして後半はホッと息をつける救いのある曲が並ぶ。
本当になんとよく練られ、考え抜かれたプログラムだろう。
それでもやはりそこにも嘘くささや甘ったるさは皆無。
演奏を聴きながら、加藤さんはご自分の音楽ににごく個人的な日常体験や感情を持ち込まない演奏家なのではないかと感じます。
だから卑小な「我」の音楽ではない、もっと大きく超越的な世界があり、そこに普遍性と説得力がある。
言葉や文化が違う相手にも伝わる、真実の音楽。
全ての演奏が終わり、素のお姿でご挨拶されると、演奏とはまた違う、明るく元気な、現代に生きる血の通った1人の人間の一面も垣間見え、そのギャップにちょっと驚いてしまう。
全曲通して、どこかグレゴリオ聖歌の響きの中にいるような、世俗的ではない心地の良さがあり、エストニアの教会での演奏を思い出されていたとのお話でした。
ご本人も仰っていましたが、80分があっという間に過ぎ去ってしまい、奏者も観客も、どこか別の場所に連れて行かれ、そこで精神を洗われて戻されるような、終わってしまうのは惜しいけれども、心も身体も晴れやかでさっぱり。
そんな80分でした。
嘘や誤魔化しのない容赦のない世界。
それは現実や日常から乖離したものであるからこそ、あるべき理想であり、誰もが目を背ける真実でもあります。
それを音楽で具現化したものを体験したと思います。
これもまた現代の祈りの音楽の一つなのかもしれません。
またぜひ第二弾もあることを!
文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ)

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