みのりの眼

お知らせ

ルクーとその時代 vol.1(2024.9.29)

<ギヨーム・ルクー没後130年記念コンサート vol.1>

19世紀末、作曲家セザール・フランクを「Père Franck (父フランク)」と慕う作曲家達がいました。
名前を挙げるならば、ダンディ、デュパルク、ショーソン、ピエルネなど、錚々たる顔ぶれが並びます。
しかし彼らの中で、「天才」の形容詞が最も似つかわしかったのがギヨーム・ルクー(1870-1894) です。

にもかかわらず現在ルクーの作品の多くはほとんど聴かれる機会は稀といえます。
兄弟子だったヴァンサン・ダンディの言葉を借りれば、ルクーが「気質においてほとんど天才」でありながらも、
「その資質を完全な形で世に示す前に24歳で死んでしまった」ためなのです。

今年はそのルクーが亡くなってから130年が経ちました。
それを機に今回ルクーの重要な作品を、ルクーとの縁が認めれられる音楽家の作品と並べて聴いていただける機会を設けました。
この2回のコンサートでルクーの「天才性」をより深く感じていただければと思います。

【プログラム】
・シューマン:協奏的ピアノ三重奏曲第2番
・ラヴェル:ヴァイオリンソナタ(遺作)
・ルクー(補筆:大脇滉平):チェロソナタ
*やむを得ない場合、曲目が変更になる場合があります。

【出演】
山本佳樹(ヴァイオリン)
山根風仁(チェロ)
蓜島啓介(ピアノ)

全席自由 一般:4,000円、ペア:7,000円(7月下旬から、e+、TEKET にて発売開始予定)
日程:2024.9.29(日)15:00開演(14:30開場)
場所:やなか音楽ホール

 

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倉田莉奈コンセプチュアルピアノリサイタル「白昼夢」(2024.9.23)

<倉田莉奈ファーストアルバム「白昼夢」発売記念>

昨年10月まで5回にわたって開催した「コンセプチュアルピアノリサイタル」シリーズ。
毎回録音していたそれらの音源から選りすぐりのテイクを「白昼夢」という新たなテーマのもとに編みなおし、
この度、待望の記念すべきファースト・アルバムをリリースすることになりました。

それを記念して同じテーマで、アルバム収録曲とはほぼ変えたヴァージョンのリサイタルを開催します。
おなじみの70分ノンストップで繰り広げられる「白昼夢」の世界。
ぜひ体験しにおいでください!

なお、当日はアルバムを先行発売します。

【プログラム】
・ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
・フランク(バウアー編):前奏曲、フーガと変奏曲
・ラフマニノフ:楽興の時 第5番
・ケージ:トイピアノのための組曲より
・シューマン:ピアノソナタ第2番より
・ベリオ:水のピアノ
ほか *やむを得ない場合、曲目が変更になる場合があります。

全席指定 一般:4,000円(7月下旬から、e+、TEKET にて発売開始予定)
日程:2024.9.23(祝)14:00開演(13:30開場)
場所:めぐろパーシモンホール小ホール

 

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徳永真一郎&松田弦『平均律ギター曲集』全曲演奏会 vol.1(2024.8.18)

<イタリアとカステルヌオーヴォ=テデスコ>

精力的に演奏活動を続けている実力派ギタリスト、徳永真一郎と松田弦。

みのりの眼企画のコンサートでも、昨年のセルジオ・アサド『夏の庭』全曲演奏など
過去2回、いずれもユニークで意欲的なプログラムに挑んできました。

そして今回から、大曲にして難曲、カステルヌオーヴォ=テデスコ『平均律ギター曲集』を
毎回定めるテーマに従ったプログラムに組み込んで、4回に分けて全曲演奏します。

1回目の今回は「イタリアとC=テデスコ」と題して、テデスコの出身地であるイタリアにちなんだ作品と合わせて披露いたします。

ご期待ください!

【プログラム】
・カステルヌオーヴォ=テデスコ:『平均律ギター曲集』第1番~第6番
・J.S.バッハ(マルキオーネ編):イタリア協奏曲
・カルッリ:「3つのデュオ Op.62」より第3番
 *やむを得ない場合、曲目が変更になる場合があります。

全席指定 一般:4,500円/ 学生:2,000円(6月14日から、e+、TEKET にて発売開始予定)
日程:2024.8.18(日)14:00開演(13:30開場)
場所:めぐろパーシモンホール小ホール
後援:株式会社現代ギター社

 

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加藤訓子コンサートレポート 2

加藤さんの演奏を聴くのは、お恥ずかしながら初めて。
80分休憩なし、こんなに長い時間マリンバのソロだけを聴いたのも初めて。
厳かなバッハから始まり、現代の都会の街の雑踏の中にいるようなライヒ、そして打ち込みのようなリズムの現代曲が続く。
CDで音だけを聴いていたら、おそらくデジタルの打ち込みの音楽だと思ってしまうかもしれない。
それを眼の前で、アスリートように筋肉の引き締まった奏者が、人の手によって生の音を奏でるのだから、目と耳と頭が若干混乱してくる。
だが、だんだんと引き込まれて夢中になる。
連続した音の永続性の中で徐々に意識が朦朧とし、こちらはすっかり身体の存在を忘れて、うっかりトランス状態に入りかけて自己喪失しかけてしまっているというのに、演奏は録音と合わせてピッタリと終わる。
一流の奏者には当たり前かもしれないけれど、その凄さに驚く。
そして聴き慣れた人にはこちらも当たり前のことだろうけれども、曲間や曲の途中にマレットを持ち替えると、その色や大きさにより、音色が異なることが初心者には面白く、子供心がワクワクしてしまう。
超低音のバッハなど、選曲も演奏も随分とビターで甘ったるいところが一切なく、嘘のない現実を突きつけられる厳しさと共に、何故だかそこに深く安堵する。
そして後半はホッと息をつける救いのある曲が並ぶ。
本当になんとよく練られ、考え抜かれたプログラムだろう。
それでもやはりそこにも嘘くささや甘ったるさは皆無。
演奏を聴きながら、加藤さんはご自分の音楽ににごく個人的な日常体験や感情を持ち込まない演奏家なのではないかと感じます。
だから卑小な「我」の音楽ではない、もっと大きく超越的な世界があり、そこに普遍性と説得力がある。
言葉や文化が違う相手にも伝わる、真実の音楽。
全ての演奏が終わり、素のお姿でご挨拶されると、演奏とはまた違う、明るく元気な、現代に生きる血の通った1人の人間の一面も垣間見え、そのギャップにちょっと驚いてしまう。
全曲通して、どこかグレゴリオ聖歌の響きの中にいるような、世俗的ではない心地の良さがあり、エストニアの教会での演奏を思い出されていたとのお話でした。
ご本人も仰っていましたが、80分があっという間に過ぎ去ってしまい、奏者も観客も、どこか別の場所に連れて行かれ、そこで精神を洗われて戻されるような、終わってしまうのは惜しいけれども、心も身体も晴れやかでさっぱり。
そんな80分でした。
嘘や誤魔化しのない容赦のない世界。
それは現実や日常から乖離したものであるからこそ、あるべき理想であり、誰もが目を背ける真実でもあります。
それを音楽で具現化したものを体験したと思います。
これもまた現代の祈りの音楽の一つなのかもしれません。
またぜひ第二弾もあることを!
文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ)

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加藤訓子コンサートレポート

加藤さんの演奏を聴くのは、お恥ずかしながら初めて。
80分休憩なし、こんなに長い時間マリンバのソロだけを聴いたのも初めて。
厳かなバッハから始まり、現代の都会の街の雑踏の中にいるようなライヒ、そして打ち込みのようなリズムの現代曲が続く。
CDで音だけを聴いていたら、おそらくデジタルの打ち込みの音楽だと思ってしまうかもしれない。
それを眼の前で、アスリートように筋肉の引き締まった奏者が、人の手によって生の音を奏でるのだから、目と耳と頭が若干混乱してくる。
だが、だんだんと引き込まれて夢中になる。
連続した音の永続性の中で徐々に意識が朦朧とし、こちらはすっかり身体の存在を忘れて、うっかりトランス状態に入りかけて自己喪失しかけてしまっているというのに、演奏は録音と合わせてピッタリと終わる。
一流の奏者には当たり前かもしれないけれど、その凄さに驚く。
そして聴き慣れた人にはこちらも当たり前のことだろうけれども、曲間や曲の途中にマレットを持ち替えると、その色や大きさにより、音色が異なることが初心者には面白く、子供心がワクワクしてしまう。
超低音のバッハなど、選曲も演奏も随分とビターで甘ったるいところが一切なく、嘘のない現実を突きつけられる厳しさと共に、何故だかそこに深く安堵する。
そして後半はホッと息をつける救いのある曲が並ぶ。
本当になんとよく練られ、考え抜かれたプログラムだろう。
それでもやはりそこにも嘘くささや甘ったるさは皆無。
演奏を聴きながら、加藤さんはご自分の音楽ににごく個人的な日常体験や感情を持ち込まない演奏家なのではないかと感じます。
だから卑小な「我」の音楽ではない、もっと大きく超越的な世界があり、そこに普遍性と説得力がある。
言葉や文化が違う相手にも伝わる、真実の音楽。
全ての演奏が終わり、素のお姿でご挨拶されると、演奏とはまた違う、明るく元気な、現代に生きる血の通った1人の人間の一面も垣間見え、そのギャップにちょっと驚いてしまう。
全曲通して、どこかグレゴリオ聖歌の響きの中にいるような、世俗的ではない心地の良さがあり、エストニアの教会での演奏を思い出されていたとのお話でした。
ご本人も仰っていましたが、80分があっという間に過ぎ去ってしまい、奏者も観客も、どこか別の場所に連れて行かれ、そこで精神を洗われて戻されるような、終わってしまうのは惜しいけれども、心も身体も晴れやかでさっぱり。
そんな80分でした。
嘘や誤魔化しのない容赦のない世界。
それは現実や日常から乖離したものであるからこそ、あるべき理想であり、誰もが目を背ける真実でもあります。
それを音楽で具現化したものを体験したと思います。
これもまた現代の祈りの音楽の一つなのかもしれません。
またぜひ第二弾もあることを!
文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ)

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