徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル「在りし日の歌」


人にはその人が存在するだけで発生してる、何か渦のようなものがあり、それが大きくて強いと、他者をも巻き込む影響があるのではないかと思う。
その渦が持つ質と力はまた別物で、どんなに良質でも訴求力の弱いもの、強力でもなんだか下品で俗っぽいとか、そんな感じで。
倉田さんの演奏会は回を重ねる毎に、どんどんとその渦の強さが増している。
彼女の持つセンスの良さ、ハウブロウな趣味と繊細さ。
むしろそれが仇となって、聴く人を選び、多くの人にはその良さが伝わりにくいのではないかという危惧は杞憂だった。
クープランもバッハもそんな力強さを持って始まる。
グラナドスの『アンダルーサ』は個人的に子供の頃から大好きな曲。
激情のまま突っ走る主題にくらべて、優しく甘い中間部を退屈に感じることも多い曲だけれども、彼女の演奏だとここが一番輝く。
なんと優しく繊細な。
そこで潮目が変わり、おそらく彼女の持つ良い資質が最も発揮される繊細でアンニュイな曲が続く。
ドラージュの『夏』にはフランス語の歌も入るのだけれど、力みなく自然で、私にはブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』を思い起こさせた。
自然の風や細波のように、あるべくして生まれて、そして流れて消えてゆく。
この日の2度目の潮目の変化はブラームスだろう。
流暢にフランス語を話す人のドイツ語。
違う言語を話すことを意識するのと同じで、ピアノの音も表現もはっきりと変化する。
そしてこの日の山のシューベルトのソナタ。
アンコールの坂本龍一では再び歌が。
ジブリ映画で宮崎駿は、専業声優の媚びた感じを嫌い、俳優を声優として採用するという話を思い出した。
倉田さんの歌には専業歌手が持つ力みがなくて、自然で美しい。
そんな魅力がある。
いつもながら選曲と曲順が一つの優れたアートになっている。
どんな曲であろうとも、たった一音が鳴っただけで聴く人を魅了し、その一瞬から惹きつけて止まない演奏家も、過去や未来、世界のどこかにはいるだろう。
だけれども、コンサート全体のコンセプトや構成、その流れと演出、演奏者の持つ資質をフルに活かす表現芸術であること。
それをここまでの完成度でプロデュース出来る演奏家は、そうはいないのではないかと思っている。
文責:前原麗子
凱旋門の近く、シャンゼリゼ大通りから一本裏にあるシャンゼリゼ劇場、その内部装飾を任されたひとりにモーリス・ドニがいました。そして彼は天井画を描いたのですが、そこにはなんとピアノを弾くブランシュ・セルヴァと譜めくりをするルネ・ド・カステラが登場しています。
私は今回カステラの生誕150年にちなんだコンサートをするにあたって、いろいろ調べているうちにこのことを知ったのですが、いざこの絵を見た時に「おや?この絵には見覚えがある…」と感じました。なんてことはない、カステラの孫たちが書いたカステラの評伝の表紙にこの絵は使われていたのです。ちゃんと表紙裏のキャプションを見ていればそのこともとっくに知っていたのでしょうが。
まぁそれはともかく、モーリス・ドニとスコラ・カントルムの音楽家たちの交友についてはよく知られていますが、そうでなくともセルヴァとカステラがパリ中心の劇場の天井に描かれているというのは、当時の存在の大きさを示していると感じざるを得ません。
セルヴァはリカルド・ヴィエニスと並んで当時の重要な二大ピアニストのうちのひとりだから何をか言わんやですが、カステラも実は当時のパリの音楽家たちの中心にいたと言っても過言ではありません。というのも、前にも書いた通り、彼はさまざまなサロンやコンサートといった集まりに足繁く通ったり、スコラ・カントルムで卒業後もその秘書として働いたりすることで、当時パリにいたほとんど全ての音楽家と繋がりを持っていましたし、楽譜出版社を設立し、音楽家たちが自らの譜面を出版しやすい状況を作ったからです。
つまりカステラもまたこのシャンゼリゼ劇場の天井に描かれるに相応しい、フランス音楽への大きな貢献を果たしたのです。だからこそ、その美しく優雅な作品とともに今再び評価すべき人だと僕は確信しています。
さてひとつ謎が残っていて、それはこのヴァイオリンを弾いている女性は誰かということです。これは明らかにされていないので推測するしかないのですが、ノエラ・クジンではないかと言われています。
ノエラ・クーザン。同い年のガストン・プーレ宛に、ピアノとヴァイオリンのためのソナタを書き捧げた年にドビュッシーが書き送った手紙にも言及されてるそうです。彼はベレー帽かぶって妙に元気な彼女をみて音楽がわかるのか訝しがったそうですが、翌年彼女はバイヨンヌやポーでドビュッシーの当該ソナタを弾いたそう。またクライスラーによる擬古作風のバロック作品も鮮やかに弾いたそうです。
今年2023年に生誕150年を迎えたフランスの作曲家ルネ・ド・カステラ。それにちなんだ2回のコンサートを企画したわけですが、そもそもカステラって誰よ?という方がほとんどだと思うので、彼についてざっと説明します。
フランス音楽の中心的存在であるバスク・ランド地方の作曲家ルネ・ダヴザック・ド・カステラは、1873 年 4 月 3 日、フランス南西部ランド地方のダクスという町に生まれました。
ダクスで名ピアニスト、フランシス・プランテに注目された彼は、1891 年に 18 歳でパリ音楽院に進学しました。その後 1896 年に開校した音楽学校スコラ・カントルムの最初のクラスに入学しますが、その中には同じフランス南西部出身の作曲家セヴラックも含まれていて、彼とはすぐに深い友情が築かれました。
1898 年末、カタルーニャの有名なピアニストで作曲家のアルベニスがスコラ・カントルムのピアノコースの教授となりますが、そこでの最高の弟子はセヴラックとカステラでした。その後この 3 人は親友となります。
また 1899 年には、当時 15 歳の天才ピアニスト、ブランシュ・セルヴァがスコラ・カントルムに入学し、3 年後にはピアノコースの教授となります。カステラとセヴラックはアルベニスと同様に彼女とも親しい間柄となりました。またセルヴァが開いた音楽サロンにはカステラやセヴラックのほか、ダンディ、アルベニス、ルーセル、カントルーブなどが集まり、親密な時間を過ごしました。
カステラはコンサートホールや音楽サロンにも頻繁に訪れ、当時のほとんどの音楽家と出会い、頻繁に交流しました。すでに述べた音楽家以外にも、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー、ショーソン、デュカスなど多数に渡ります。さらにその後スコラ・カントルムの秘書となったときにはフランスのほか、ベルギー(イザイなど)、スペイン(グラナドスなど)の音楽家のほとんどと交流する機会を得ました。
1902 年、カステラは、多くの作曲家がより容易に作品を出版できるよう、「エディション・ミュチュエル」という出版社を設立しました。その結果彼と繋がりのある多くの作曲家が自らの作品をこの出版社から世に出すことができました。その中にはアルベニスの傑作『イベリア』もあります。
このようにカステラは当時のフランス音楽界を語る上で、欠くことのできない重要な人物です。
そんなカステラの作品の多くは、ランド県の実家で過ごした休暇中に作曲されました。今回演奏する作品もみなそうで、ランド地方とバスク地方の雰囲気を背景とした優雅なものばかりです。それらは彼がつきあった本当にたくさんの作曲家の作品とくらべても遜色はありません。
ぜひこの機会にお聞きいただきたいと思います。
*この内容はカステラの孫のアンヌさんによるバイオグラフィーをもとにまとめました。