みのりの眼

スタッフブログ

ルクーとその時代 vol.2 レポート

おかげさまで「ルクーとその時代 vol.2」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

今回もまた知られざる作品が、素晴らしい音楽家たちによって演奏されました。
貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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谷中音楽ホールに「ルクーとその時代 vol.2」へ。

曲目は前半がイザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第五番」、「悲劇的な詩」にドビュッシーの「ヴァイオリンソナタ」。
後半がルクーのピアノ曲「3つの小品」と「ヴァイオリンソナタ」。
演奏は先日音コンで優勝された栗原壱成さんのヴァイオリンに蓜島啓介さんのピアノ。

正直な話、イザイやルクーの音楽は19世紀末のマニエリスムの「ここまでの音楽」という先入観を持っていたが、お二人の鮮烈な演奏で聴いているうちに「これからの音楽」に印象が一変。古い絵を覆っていたヤニのようなニスを剥がしたら、色鮮やかな名画が現れたような感動を味わう。

栗原さんの躍動する演奏を目前で聴いているうちに、イザイの曲がヴァイオリンの伝統的な技巧の粋を尽くして初めて切り開けた表現の最前線であったこと、その技巧と表現は20世紀音楽の旗手のようなドビュッシーの作品にも共有されていることを実感した。2つの作品が、別々の表現で音楽の「これから」を切り開いていこうとしたように思われた。

これはプログラムの妙味でもあったと思う。
後半の組み合わせでは、ルクーの若々しいピアノ曲「3つの小品」の息吹が、代表作「ヴァイオリンソナタ」にも流れていることを感じた。
古い録音で感じた「緩慢なテンポによる濃密な転調の音楽」というよりも、爽やかで躍動する音楽という印象を強く受けた。蓜島さんの構築的な名演奏がそれを支える。

プログラムといい演奏といい、一服の名画、それも修復成ってかつての輝きを取り戻した名画という感じだった。
作品愛に溢れた企画に演奏を有難うございました!

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詩人ピエール・ド・ロンサールに捧げる8つの歌曲集 レポート

おかげさまで「詩人ピエール・ド・ロンサールに捧げる8つの歌曲集 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

生誕500年のロンサールを振り返り、100年振りの「ロンサールの墓」の全曲演奏、
今回もまた貴重でとても意義あるイベントだったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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11/24 (日)に『Pierre de Ronsard生誕500年記念 詩人ピエール・ド・ロンサールに捧げる8つの歌曲集』を聴きに行った。
これが非常に意欲的なものだったので、ここでぜひご紹介したい。

ルネサンス期に活躍した詩人Pierre de Ronsard (1524-1585)は、その生誕400年だった1924年にフランスで再評価され、ある音楽雑誌の発案でラヴェルをはじめとする8人の作曲家がその詩に曲を書いて歌曲集が編纂された。
今年はそれからちょうど100年。今度は(なぜか)東京で生誕500年を記念してロンサールを振り返り、歌曲集を全曲演奏するコンサートをやろうというのがこの企画の趣旨。

しかもこのコンサートは音楽だけではなく、フランスに精通した文学者とピアニストによる対談、内容の濃いブックレットの発行、それにコンサート後のささやかなパーティでの交流まで用意された、非常に意欲的なものだった。

音楽と文学、ルネサンスと近現代、フランスと日本、まさにジャンルや時空を超えた知的な時間を過ごすことができた。

真に教養のある人というのは、概してジャンルや時代を超えた議論ができるものだが、芸術・学術にかかわらずあらゆる分野で細分化が進んでいる現在、そういったジャンル横断的な催しや議論の場は決して多くない。
だからこそ、このコンサートには大きな意味があった。

コンサートはまず菅野潤氏によるエラールのピアノ(平行弦!!)によるドビュッシー『花火』他の独奏からはじまり、会場が一気にフランスの空気になったところで、続いてはプルースト『失われた時を求めて』の翻訳で知られる高遠弘美氏とパリを拠点に活躍するピアニスト菅野潤氏による対談。

100年前のヨーロッパは過去の偉大な詩人や音楽家が「再発見」された時期であったことが指摘され、『詩人ピエール・ド・ロンサールに捧げる8つの歌曲集』が生まれる背景が解説された。また、ロンサールの詩のいくつかが、フランス語が堪能な菅野氏によるフランス語と高遠氏による翻訳で朗読されたのも、演奏される歌曲の理解を深める粋なはからいだった。

休憩後はいよいよ『8つの歌曲集』の演奏。

これらの各曲はラヴェルやオネゲルなど当時の作曲家が1曲ずつ提供しており、歌手はテノールとソプラノ、楽器はピアノ、フルート、ハープが使用された。

詩が長いものではないので曲はいずれも小品で、音楽にはルネサンス時代のものを参照している感じはなく、大戦間期ヨーロッパ特有のけだるい気分が醸し出されているように私には感じられた。

現代は音楽が作曲家に紐づけられて聴かれることが多いが、ここではあくまで100年前にひとつのテーマで各作曲家に委嘱された8曲を一気に聴くということに大きな意味があったように思う。

今回のコンサート会場は「いずるば」という田園調布・さくら坂を上がったあたりにある個人宅のホール。現代版のサロンといった雰囲気で今回のコンサートにふさわしい選択だったと思う。

このコンサートの実現に際しては、今回の出演者、エラールピアノのオーナー、会場の「いずるば」オーナー、ブックレット内論文の筆者など、多くの分野の人たちの賛同による協力があったとのこと。
今回のコンサートを成功させたみのりの眼とその協力者のみなさんに大きな拍手を送りたい。

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ベル・エポックの花束 ~珠玉のフランス近代室内楽の名品たち~ レポート

おかげさまで「ベル・エポックの花束 ~珠玉のフランス近代室内楽の名品たち~ 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

今回もまた知られざる作品が素晴らしい音楽家たちによって演奏されました。
貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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2024年11月16日(土)
「みのりの眼」さん主宰の「ベル・エポックの花束」に。

5人の演奏家にソプラノを迎えて知られざるフランス室内楽の佳作を演奏する会です。
これだけ珍しい編成の佳作を選び、名手を集めて、一度だけの演奏会で披露する情熱は素晴らしいですね。
美味しい前菜が次々に出てきて、未知の野菜やジビエの味わいが次々に舌の上に広がるような耳の御馳走です。

特に冒頭のフランセの洒落た味わいと、ジャン・クラの「パンの笛」が強く印象に残る。

この曲はパンフルート(フルート持ち替え!)と弦楽伴奏が付く4曲の歌曲集ですが、この曲のためにパンフルートを習得したという大塚茜さんの音色に吉川夏野さんの歌声が澄み渡り、海の波に乗っているような快いリズムの揺らぎは、まさに海軍士官だった作曲者の持ち味です。古伝説を描いた詩の美しさ(字幕付き)も忘れ難いもの。

これらに加え、ロラン=マニュエルの弦楽三重奏、サン=サーンスのハープとヴァイオリン、トゥルニエの五人合奏と、組み合わせ自体が珍しい作品群の色彩感はこれまで味わったことのない妙味。

有難うございました!

 

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ルクーとその時代 vol.1 レポート

おかげさまで「ルクーとその時代 vol.1 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

今回もまた知られざる作品が、特に世界初演のものも含まれ、それらが素晴らしい音楽家たちによって演奏されました。
貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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9月29日(日)やなか音楽ホールへ「ギョーム・ルクーとその時代1」に。

ルクー没後130年記念演奏会で、曲目はセザール・フランク初期の「3つの協奏的トリオ 第二番」、ラヴェルの「遺作ソナタ」とルクー「チェロソナタ」。これは一時間近くかかりながら最終楽章がほぼ失われていて、今回作曲家の大脇滉平さんが補筆完成させたもの。

さて、ワーグナーが心の闇を描く音楽の解像度を爆上げさせてから、次の世代の作曲家はその闇をどう止揚するか苦しんだと思う。
実際に若きラヴェルとルクーはこれらのソナタを完成させることは出来なかった。

しかし大脇さんはその闇と苦悶を受けとめながら、調和に至る音楽を、精緻な和声分析を駆使しつつ描き切ってみせた。研究家としても作曲家としても偉業としか言いようがない。

陰惨な響きの続くソナタが、暗い空の切れ目の光のような長調の和声に到り、フランクのコラールを思わせる響きに解決されていく過程はまさに圧巻だった。

こうして聴いていると、フランクが若き作曲家たちに尊崇されたのも分る気がした。
メンデルスゾーンを思わせる若書きのトリオ、こうしたシンプルで陽性のルーツを持っていた老音楽家は、闇に拮抗する神父のように見えたに違いない。
それに演奏者の皆さん好演です(ピアノ 蓜島啓介、Vn 山本佳輝、Vc 山根風仁 さん)。
色彩感に富むタッチと音色で、どの曲も変化に溢れる作品として響く。素晴らしい室内楽の夕べを有難うございました!

 

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倉田莉奈 コンセプチュアルリサイタル『白昼夢』 レポート

おかげさまで「倉田莉奈 コンセプチュアルリサイタル『白昼夢』 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

これまで5回開催してきましたシリーズの集大成に相応しい内容ではなかったでしょうか。

そして今回発売しました、これまで5回のライヴ録音から再構成しましたファーストアルバム『白昼夢』でも倉田さんの研ぎ澄まされた美意識を感じていただけることと思います。ぜひアルバムの方もお聞きください。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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本日のコンサート「倉田莉奈 コンセプチュアル・ピアノリサイタル」のプログラム、
これらの曲を休憩や拍手無しの70分ほどの時間で一気に弾ききるコンサートでした。

 

この形式の演奏会は毎回普通のコンサートを聴いている時とかなり異なった感想を持つのだけれども、特に今回はそれぞれの作曲家の曲に対する想いが強く印象に残るものでした。

 

倉田さんの演奏の最大の良さは曲の持つ様式美や曲想を大切にして聴かせてくれることだと思う。
12人の作曲家それぞれの個性と倉田さんのピアノ演奏がピッタリと合致しているので通しで聴いていても単調に感じることなくあっという間の70分だった。

 

選曲と順番も工夫が感じられスティーブ・ジョブズではないが、点と線が綺麗につながっていて小川を流れる水が次第に大河となるような感覚があった。

 

また初めて聴く曲も多く、ラフマニノフの楽興の時はシューベルトに渡り、シューベルトの感傷的なワルツはショパンの有名なワルツの原流を感じさせてくれたりと聴き進めていく時間中に色々なことが頭の中を駆け巡るようだった。

 

ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスとそれぞれ人間が深く音楽で繋がっていたんだなぁとそれぞれの曲を聴いている間中そんなことばかり考えていた。

 

人間×作品×演奏が時や場所、言語を超えて今を生きる私たちの心に話しかけてきてくれるそんな素敵な9月23日の午後のひと時でした。

 

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フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー レポート

おかげさまで「フォーレとサン=サーンス ~フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー~」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

知られざる名曲の数々が素晴らしい音楽家たちによって演奏される貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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5月29日は、五反田文化センターにて、「フォーレとサン=サーンス フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー」と題されたコンサートに行きました。ここのところ、フランスづいております😊

下記のプログラムは中々マニアックですが、これは何としても聴かなければなるまい!と思わせるものがありました。

シューマン カノン形式の6つの練習曲
フォーレ ピアノ三重奏曲

シューマン 民謡風組曲より第3曲
サン=サーンス トリプティークより第1曲
サン=サーンス ピアノ三重奏曲第2番 

 

最初のシューマンは、足鍵盤付きピアノのために作曲されたのをピアノ三重奏に編曲したものとのこと。
原曲も全く聴いたことがありませんでしたが、カノンによる練習曲などというと、対位法を駆使した難解な作品かと思ったら、ロマンの香り高い、シューマンならではの作風で一安心。
この編曲により、ヴァイオリン、チェロ、ピアノが音域を変えながら明瞭に旋律をなぞることとなり、下世話な例えながら、あたかも男女の親密な語らいの様々なありようを聴くようで、原曲よりもロマンチックな雰囲気がより一層濃厚に感じられたのではないかと思いました。魅力的な作品、演奏だったですね。

 

フォーレの作品は、どれを聴いても、現実を遊離した高雅な雰囲気を感じさせてくれますが、晩年のこの作品は、甘美さよりも厳粛さが際立ち、一層孤高の美しさを湛えているように感じます。
今回の演奏は、それでも、厳しさよりは労わるような優しさと、さらには逞しさも感じさせる美しい演奏だったと思います。
いずれにしても、やはり、フォーレはいいですね!

 

後半は、二重奏による小品を2曲の後、サン=サーンスの殆ど知られていない三重奏曲でしたが、これは素晴らしかったです!
5楽章という当時の室内楽では珍しい構成で、緩徐楽章を真ん中に置いたシンメトリー構成は、まるでバルトークみたいです。
冒頭の激しいピアノに乗せられた弦のメロディから、これは!と思わせるものがありました。
熱いパッションと憧れに満ちた第1楽章、スケルツォないし舞曲的な第2、第4楽章に挟まれた第3楽章は夢見るように美しく、終楽章ではフーガも用いられ、全曲を通じ、全くダレることなく終始魅力的な楽想が連続する傑作だと思います。
ヤンネ 舘野、鈴木 皓矢、鶴澤 奏の3人による演奏はこの作品においても見事でした!

 

この日のコンサートは、シューマンに始まりましたが、ドイツならではと思われるシューマンのロマンティシズムですが、フランス人にとってもその魅力には抗し難いものがあったのかと思います。ドビュッシーのように敢えてアンチワグネリズムを実践しながらもドイツを意識しないではいられなかったように、フランス音楽界に対するドイツロマンティシズムの影響は大きく、フォーレにもサン=サーンスにも、確かに共通するポエジーが感じられたように思います。

 

意義深いコンサートでした。

 

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加藤訓子ソロリサイタルシリーズ in サルビアホール vol.2 レポート

おかげさまで「加藤訓子「B A C H」J.S. Bach series vol. 1」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

最高の響きを誇るサルビアホールに広がる加藤訓子さんの演奏は、そのポテンシャルを最大限引き出すものだったと思います。

おいでいただきましまお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

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J・S・バッハ

平均律クラヴィーア曲集第1巻第一番プレリュード

無伴奏チェロ組曲第1番ト長調

無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ長調

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ニ短調よりシャコンヌ

加藤氏は、身体全体をしなやかに使って弾く。その姿から、バッハの音楽を真正面から、全身で受け止めようとしていることをひしひしと感じた。打楽器は奏者の身体の動きがそのまま音になる部分が大きい。がっつりと音楽に取り組む身振りがダイレクトに音として立ちあらわれる。

実は、加藤氏のバッハ作品のCDはリリースされてまもなく聴いていたのだけれど、その演奏スタイルに違和感を覚えていた。なぜこれほどに大きな身振りが必要なのか。今回、実演に接してようやく身振りの意味合いがわかった。すると、音楽の中へどんどん入っていくことができた。

一曲目の「プレリュード」も、無伴奏チェロ組曲も、どことなく土の香りがした。マリンバの起源はアフリカにあるという話に、響きの面からリアリティを感じた。ただ、「土」といっても、土俗的というような意味合いではない。掘り起こしたばかりの土の、しっとりと水分を含んだ香り。ちぎれた草の根の匂いも混じった香り。豊かな滋味を含んだ土の、複雑な香りである。加藤氏の演奏は大地に足をつき、そこから得た力でバッハの世界とがっつり組み合っているように感じる。

ヴァイオリン・ソナタの第1楽章や第4楽章では硬めのマレットを使い、無伴奏チェロ組曲とは全く異なる響きを聴かせる。他方、3楽章のアンダンテでは再び柔らかめのマレットを使い、今夜初めて本格的なトレモロを使っていた。響きが楽想と見事に調和している。

今夜の演奏では、概してトレモロの使用を抑制し、自然減衰する単音の響きを重視していると思った。この楽器自体のシンプルな音で勝負しようという姿勢が潔い。

最後の「シャコンヌ」も実に気迫の籠った演奏だった。演奏後の挨拶で、「シャコンヌ」は初披露だったと語られた。コロナ禍による外出制限の中、演奏の機会も失われ、音楽に向かう気持ちを失っていた折、たまたま耳にしたブゾーニによる編曲にインスパイアされたものだという。

この作品は従来さまざまなトランスクリプションがあるのだけれど、改めてなんと複雑な音楽かと感嘆した。実に魅力的なモチーフを得たバッハは、書き進めるうちに筆が止まらなくなったのではなかろつかと、演奏を聴きつつ想像した。作曲家は自身の持つリソースを限界まで使い倒すことによって、ひとつの宇宙を構築してしまった。バッハは、実は編成を固定するつもりはなかったー途中からそのつもりがなくなってしまったーのかもしれない。もしかするとヴァイオリンのために書いたのは、楽想をリアライズするのに最も効率的だったというプラクティカルな理由だったのではなどとも妄想した。

アンコールにヴァイオリン・ソナタ第3番のラルゴ。

加藤氏の奏でるバッハ作品は一音一音に深く着実な思索が感じられる。単に楽器を置き換えたなどというものとは全く異なる音楽である。しかし、過度に学究的になることがない。無伴奏チェロ組曲のメヌエットやジーグなどではリズムが息づいていて舞曲集であることを思い出させてくれる。味わいのある響きにいつまでも包まれていたいと思った。

今後も引き続き取り組むというバッハが楽しみである。できる限り追いかけたい。

(2024年3月5日 鶴見区民文化センター サルビアホール 音楽ホール)

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ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.2 レポート

ルネ・ド・カステラ。
全く知らない作曲家で、今回の演奏家のお三方も初めて知ったとおっしゃっていました。
そんなマニアックな企画でも、演奏家の方々のファンのお客様の演奏家への信頼からか、若いお客様も多く、若いお客様の未知のものに対する柔軟なご姿勢が伺えました。

この演奏会の最初の曲はホアキン・トゥリーナ『円環』でしたが、こちらも初めて聴く曲。
親しみやすくスッと入り込め、抵抗なく心を掴まれる曲だと思います。
プログラムノートをお願いしている音楽学者の椎名亮輔さんの解説によると、楽章毎に「夜明け」「正午」「たそがれ」とあり、一日の循環・円環を表しているそうですが、そんなこの曲の構想そのものが今回のプログラムの構想とも重なり、まさに爽やかで軽快なトゥリーナ『円環』が朝にあたり、全体の構想を象徴する入子式の曲順だったように思えます。

トゥリーナの『円環』の構想に倣いますと、今回のプログラムでは「正午」の部分がラヴェルのピアノ三重奏にあたります。
まさかこの難曲が生演奏で、決して大きなホールとは言えないことが功を奏した、こんな至近距離で聴けるとは思ってもいませんでした。
大迫力の大熱演。

硬質で透明感のある蓜島さんのピアノがラヴェルによく合い、山本さんの精緻で確かなヴァイオリン、安心感のある山根さんのチェロ、3人の演奏家がどなたも、どんな曲を弾いても「自分の音楽」にしてしまうタイプの演奏家ではなく、楽曲そのものを大切にする奥ゆかしいタイプの演奏家で、どの曲も楽曲自体の良さがストレートに感じられてとても良かったです。

今回の演奏会のタイトルともなった日本初演のカステラ。
人生の秋から冬にかけて、都会で忙しく働き波瀾万丈の大活躍をした物語の主人公が、引退を経て自然豊かな故郷に戻り、穏やかな晩年を過ごしているかのような曲。
良い意味で民族的で土臭く、穏やかな日常にもさざなみのような波乱やイベントもあり。
たとえ第一線を退いたとしても、生き生きとした人の一生は続く。それは思っているよりもずっと豊かで長いものかもしれません。

アンコールはラヴェル『クープランの墓』より「メヌエット」。
この曲は切なく悲しげだったり、ミステリアスに聴こえることもありますが、この演奏会のアンコールとしてこのトリオが奏でると温かみを感じ、多幸感と共に大満足な終演を迎えられました。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

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フェデリコ・モンポウ生誕130年記念公演「カタロニアの風」レポート

毎回、あまりにマニアックでニッチな企画のため、集客に苦労するみのりの眼のコンサート。
堅苦しく難解で馴染みのないものばかりでは?と思われるからかもしれません。
ただ、ひとたびその蓋を開けてみると、ほぼ初めて聴くその音楽は優しく穏やかで、疲れた心と身体にもスッと入り込む親しみやすいものばかり。
いつも聴く前には「わからない」ことに気後れして身構えてしまうのですが、その内容はギャップ萌えならぬギャップ癒しに遭って面をくらい、予期せぬ幸福感に包まれて帰路につくのです。

今回はフェデリコ・モンポウ。
モンポウはピアノ曲では聴いたこともあるかもしれませんが、ギターの入った弦楽アンサンブルで、世界初演曲も含む全て日本人編曲。
合唱曲『気球に乗ってどこまでも』の作曲者でもある平吉毅州さんの編曲、ギターと弦楽四重奏のオリジナル曲を軸に、今を生きる若手作曲家の松崎国生さん、今回のギター演奏者の徳永真一郎さんの編曲も加わります。

1986年に平吉毅州さんにより、ギタリスト鈴木一郎さんのために書かれたモンポウのギターアンサンブル編曲が、今こうして現代の日本の作曲家やギタリストたちによって受け継がれ広がりを見せていく。平吉毅州さんの仕事の一雫が、約40年後の今、若い日本人音楽家たちの手で再びモンポウとギターを繋ぎ、命を吹き込んだ演奏会でした。

スペイン、カタロニアというと、先入観からもっと光と影のコントラストの強い、明暗のくっきりした音楽を想像していましたが、実際にはその光と影はコントラストではなく、グラデーションとなっているかのような、非常に穏やかで繊細な音楽でした。これはギタリストの徳永さんの持つ資質も大きく影響しているのかもしれません。
ショパンやサティになぞらえることもあるモンポウの作曲のせいか、日本人の編曲と演奏のせいか、リズムやハーモニーの構造よりもメロディの強い歌心のある音楽だと感じます。 各自それぞれ違うパートを違う楽器で演奏しているのに、同じ旋律をユニゾンで歌っているかのような不思議な感覚です。

音楽学者の椎名亮輔さんによるプログラムノートに、モンポウの言葉としてこんな引用がありました。
「オレンジの木にオレンジ以外のものを求めてはいけない。ー中略ー 無理をして、自分の性格に合わない大規模な作品やオーケストラ作品を書くべきではないと思う。」
カタロニアのオレンジが、日本の地で芽吹き、その実を結実させたのだと思いました。

無理をして世の中で良いとされた誰かのようにならずとも、自分自身が自分自身のまま結実すれば良いのだ。
受け取り方は人それぞれですが、この演奏会の音楽を陳腐な言葉にまとめると、今のこの息苦しい日本で、このタイミングで、そんな未来へのメッセージでもあったような気もします。
これからもそんな説明や解説のその先にある何か言葉にはならぬ善きものを、音楽でお伝えすることが出来れば幸いです。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

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倉田莉奈 コンセプチュアル・リサイタル vol.5 レポート

全5回に渡る倉田莉奈さんのコンセプチュアルシリーズ、今回が最終回の第5回目。
テーマは「いのりのおと」。

「祈り」というと有名な宗教曲ばかりが並ぶかと思いきや、そこは倉田さんのセンスが光るさすがの選曲。
穏やかな日もあれば、悲しく切ない時も、取り乱し錯乱しそうな時も。 そんな人一人、どんな人にも誰にでも起こり得る、日常の中で生きることそのものを俯瞰するかのような70分の物語。

誰かの一生を押し付けがましくなく、暖かく、寛容に見守る祈り。
その誰もが尊く、どの瞬間も尊く、それが「いのりのおと」となる。

言葉で書いてしまうと陳腐ですが、通常のコンサートよりも著しく明かりを落とし、拍手も休憩もない静寂の中で、ただ音楽に耳を傾けていると、きっとどの人にもそれが伝わっていたのではないかと思います。

それがコンセプトの説明ありきの現代美術とは大きく異なる点で、全ての演出、選曲、音楽そのものが、なんの言葉や説明を介さずともその真意が伝わるのです。
それはこの日この場で体感するパフォーマンスとして、大変に意義のあるものでした。

このシリーズ以前に倉田さんの演奏を聴いた際見えた、数少ない色で彼女の印象を判断してしまっていましたが、こんなにも引き出しの多い、様々な色の、大きな音楽をも持った音楽家であったことをまざまざと思い知らされた全5回のシリーズ。

この日の最後はベートーヴェンのピアノソナタ30番でしたが、失礼ながら最初の印象からはこんな大きな演奏が聴けるとは思いませんでした。

休憩なしで難曲の並ぶ、このハードなコンサートのシリーズは、きっとご本人の消耗も激しかったことかと思います。
それでもコンサートという場で出来る新たな可能性を、未来を見せてくれたこと、そしてそれを共有して下さった、ご来場いただいた全ての皆様に深く御礼申し上げます。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

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