みのりの眼

スタッフブログ

ルクーとその時代 vol.1 レポート

おかげさまで「ルクーとその時代 vol.1 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

今回もまた知られざる作品が、特に世界初演のものも含まれ、それらが素晴らしい音楽家たちによって演奏されました。
貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月29日(日)やなか音楽ホールへ「ギョーム・ルクーとその時代1」に。

ルクー没後130年記念演奏会で、曲目はセザール・フランク初期の「3つの協奏的トリオ 第二番」、ラヴェルの「遺作ソナタ」とルクー「チェロソナタ」。これは一時間近くかかりながら最終楽章がほぼ失われていて、今回作曲家の大脇滉平さんが補筆完成させたもの。

さて、ワーグナーが心の闇を描く音楽の解像度を爆上げさせてから、次の世代の作曲家はその闇をどう止揚するか苦しんだと思う。
実際に若きラヴェルとルクーはこれらのソナタを完成させることは出来なかった。

しかし大脇さんはその闇と苦悶を受けとめながら、調和に至る音楽を、精緻な和声分析を駆使しつつ描き切ってみせた。研究家としても作曲家としても偉業としか言いようがない。

陰惨な響きの続くソナタが、暗い空の切れ目の光のような長調の和声に到り、フランクのコラールを思わせる響きに解決されていく過程はまさに圧巻だった。

こうして聴いていると、フランクが若き作曲家たちに尊崇されたのも分る気がした。
メンデルスゾーンを思わせる若書きのトリオ、こうしたシンプルで陽性のルーツを持っていた老音楽家は、闇に拮抗する神父のように見えたに違いない。
それに演奏者の皆さん好演です(ピアノ 蓜島啓介、Vn 山本佳輝、Vc 山根風仁 さん)。
色彩感に富むタッチと音色で、どの曲も変化に溢れる作品として響く。素晴らしい室内楽の夕べを有難うございました!

 

ルクーとその時代 vol.1 レポート Read More »

倉田莉奈 コンセプチュアルリサイタル『白昼夢』 レポート

おかげさまで「倉田莉奈 コンセプチュアルリサイタル『白昼夢』 」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

これまで5回開催してきましたシリーズの集大成に相応しい内容ではなかったでしょうか。

そして今回発売しました、これまで5回のライヴ録音から再構成しましたファーストアルバム『白昼夢』でも倉田さんの研ぎ澄まされた美意識を感じていただけることと思います。ぜひアルバムの方もお聞きください。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本日のコンサート「倉田莉奈 コンセプチュアル・ピアノリサイタル」のプログラム、
これらの曲を休憩や拍手無しの70分ほどの時間で一気に弾ききるコンサートでした。

 

この形式の演奏会は毎回普通のコンサートを聴いている時とかなり異なった感想を持つのだけれども、特に今回はそれぞれの作曲家の曲に対する想いが強く印象に残るものでした。

 

倉田さんの演奏の最大の良さは曲の持つ様式美や曲想を大切にして聴かせてくれることだと思う。
12人の作曲家それぞれの個性と倉田さんのピアノ演奏がピッタリと合致しているので通しで聴いていても単調に感じることなくあっという間の70分だった。

 

選曲と順番も工夫が感じられスティーブ・ジョブズではないが、点と線が綺麗につながっていて小川を流れる水が次第に大河となるような感覚があった。

 

また初めて聴く曲も多く、ラフマニノフの楽興の時はシューベルトに渡り、シューベルトの感傷的なワルツはショパンの有名なワルツの原流を感じさせてくれたりと聴き進めていく時間中に色々なことが頭の中を駆け巡るようだった。

 

ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスとそれぞれ人間が深く音楽で繋がっていたんだなぁとそれぞれの曲を聴いている間中そんなことばかり考えていた。

 

人間×作品×演奏が時や場所、言語を超えて今を生きる私たちの心に話しかけてきてくれるそんな素敵な9月23日の午後のひと時でした。

 

倉田莉奈 コンセプチュアルリサイタル『白昼夢』 レポート Read More »

フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー レポート

おかげさまで「フォーレとサン=サーンス ~フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー~」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

知られざる名曲の数々が素晴らしい音楽家たちによって演奏される貴重な演奏会だったと思います。

おいでいただきましたお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5月29日は、五反田文化センターにて、「フォーレとサン=サーンス フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー」と題されたコンサートに行きました。ここのところ、フランスづいております😊

下記のプログラムは中々マニアックですが、これは何としても聴かなければなるまい!と思わせるものがありました。

シューマン カノン形式の6つの練習曲
フォーレ ピアノ三重奏曲

シューマン 民謡風組曲より第3曲
サン=サーンス トリプティークより第1曲
サン=サーンス ピアノ三重奏曲第2番 

 

最初のシューマンは、足鍵盤付きピアノのために作曲されたのをピアノ三重奏に編曲したものとのこと。
原曲も全く聴いたことがありませんでしたが、カノンによる練習曲などというと、対位法を駆使した難解な作品かと思ったら、ロマンの香り高い、シューマンならではの作風で一安心。
この編曲により、ヴァイオリン、チェロ、ピアノが音域を変えながら明瞭に旋律をなぞることとなり、下世話な例えながら、あたかも男女の親密な語らいの様々なありようを聴くようで、原曲よりもロマンチックな雰囲気がより一層濃厚に感じられたのではないかと思いました。魅力的な作品、演奏だったですね。

 

フォーレの作品は、どれを聴いても、現実を遊離した高雅な雰囲気を感じさせてくれますが、晩年のこの作品は、甘美さよりも厳粛さが際立ち、一層孤高の美しさを湛えているように感じます。
今回の演奏は、それでも、厳しさよりは労わるような優しさと、さらには逞しさも感じさせる美しい演奏だったと思います。
いずれにしても、やはり、フォーレはいいですね!

 

後半は、二重奏による小品を2曲の後、サン=サーンスの殆ど知られていない三重奏曲でしたが、これは素晴らしかったです!
5楽章という当時の室内楽では珍しい構成で、緩徐楽章を真ん中に置いたシンメトリー構成は、まるでバルトークみたいです。
冒頭の激しいピアノに乗せられた弦のメロディから、これは!と思わせるものがありました。
熱いパッションと憧れに満ちた第1楽章、スケルツォないし舞曲的な第2、第4楽章に挟まれた第3楽章は夢見るように美しく、終楽章ではフーガも用いられ、全曲を通じ、全くダレることなく終始魅力的な楽想が連続する傑作だと思います。
ヤンネ 舘野、鈴木 皓矢、鶴澤 奏の3人による演奏はこの作品においても見事でした!

 

この日のコンサートは、シューマンに始まりましたが、ドイツならではと思われるシューマンのロマンティシズムですが、フランス人にとってもその魅力には抗し難いものがあったのかと思います。ドビュッシーのように敢えてアンチワグネリズムを実践しながらもドイツを意識しないではいられなかったように、フランス音楽界に対するドイツロマンティシズムの影響は大きく、フォーレにもサン=サーンスにも、確かに共通するポエジーが感じられたように思います。

 

意義深いコンサートでした。

 

フランス近代音楽に流れるシューマンのポエジー レポート Read More »

加藤訓子ソロリサイタルシリーズ in サルビアホール vol.2 レポート

おかげさまで「加藤訓子「B A C H」J.S. Bach series vol. 1」 無事に終了しました。

ご来場いただいたお客さま、そして応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました!

最高の響きを誇るサルビアホールに広がる加藤訓子さんの演奏は、そのポテンシャルを最大限引き出すものだったと思います。

おいでいただきましまお客さまの生の声を、許可をいただき、ここに転載します。ぜひご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

J・S・バッハ

平均律クラヴィーア曲集第1巻第一番プレリュード

無伴奏チェロ組曲第1番ト長調

無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ長調

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ニ短調よりシャコンヌ

加藤氏は、身体全体をしなやかに使って弾く。その姿から、バッハの音楽を真正面から、全身で受け止めようとしていることをひしひしと感じた。打楽器は奏者の身体の動きがそのまま音になる部分が大きい。がっつりと音楽に取り組む身振りがダイレクトに音として立ちあらわれる。

実は、加藤氏のバッハ作品のCDはリリースされてまもなく聴いていたのだけれど、その演奏スタイルに違和感を覚えていた。なぜこれほどに大きな身振りが必要なのか。今回、実演に接してようやく身振りの意味合いがわかった。すると、音楽の中へどんどん入っていくことができた。

一曲目の「プレリュード」も、無伴奏チェロ組曲も、どことなく土の香りがした。マリンバの起源はアフリカにあるという話に、響きの面からリアリティを感じた。ただ、「土」といっても、土俗的というような意味合いではない。掘り起こしたばかりの土の、しっとりと水分を含んだ香り。ちぎれた草の根の匂いも混じった香り。豊かな滋味を含んだ土の、複雑な香りである。加藤氏の演奏は大地に足をつき、そこから得た力でバッハの世界とがっつり組み合っているように感じる。

ヴァイオリン・ソナタの第1楽章や第4楽章では硬めのマレットを使い、無伴奏チェロ組曲とは全く異なる響きを聴かせる。他方、3楽章のアンダンテでは再び柔らかめのマレットを使い、今夜初めて本格的なトレモロを使っていた。響きが楽想と見事に調和している。

今夜の演奏では、概してトレモロの使用を抑制し、自然減衰する単音の響きを重視していると思った。この楽器自体のシンプルな音で勝負しようという姿勢が潔い。

最後の「シャコンヌ」も実に気迫の籠った演奏だった。演奏後の挨拶で、「シャコンヌ」は初披露だったと語られた。コロナ禍による外出制限の中、演奏の機会も失われ、音楽に向かう気持ちを失っていた折、たまたま耳にしたブゾーニによる編曲にインスパイアされたものだという。

この作品は従来さまざまなトランスクリプションがあるのだけれど、改めてなんと複雑な音楽かと感嘆した。実に魅力的なモチーフを得たバッハは、書き進めるうちに筆が止まらなくなったのではなかろつかと、演奏を聴きつつ想像した。作曲家は自身の持つリソースを限界まで使い倒すことによって、ひとつの宇宙を構築してしまった。バッハは、実は編成を固定するつもりはなかったー途中からそのつもりがなくなってしまったーのかもしれない。もしかするとヴァイオリンのために書いたのは、楽想をリアライズするのに最も効率的だったというプラクティカルな理由だったのではなどとも妄想した。

アンコールにヴァイオリン・ソナタ第3番のラルゴ。

加藤氏の奏でるバッハ作品は一音一音に深く着実な思索が感じられる。単に楽器を置き換えたなどというものとは全く異なる音楽である。しかし、過度に学究的になることがない。無伴奏チェロ組曲のメヌエットやジーグなどではリズムが息づいていて舞曲集であることを思い出させてくれる。味わいのある響きにいつまでも包まれていたいと思った。

今後も引き続き取り組むというバッハが楽しみである。できる限り追いかけたい。

(2024年3月5日 鶴見区民文化センター サルビアホール 音楽ホール)

加藤訓子ソロリサイタルシリーズ in サルビアホール vol.2 レポート Read More »

ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.2 レポート

ルネ・ド・カステラ。
全く知らない作曲家で、今回の演奏家のお三方も初めて知ったとおっしゃっていました。
そんなマニアックな企画でも、演奏家の方々のファンのお客様の演奏家への信頼からか、若いお客様も多く、若いお客様の未知のものに対する柔軟なご姿勢が伺えました。

この演奏会の最初の曲はホアキン・トゥリーナ『円環』でしたが、こちらも初めて聴く曲。
親しみやすくスッと入り込め、抵抗なく心を掴まれる曲だと思います。
プログラムノートをお願いしている音楽学者の椎名亮輔さんの解説によると、楽章毎に「夜明け」「正午」「たそがれ」とあり、一日の循環・円環を表しているそうですが、そんなこの曲の構想そのものが今回のプログラムの構想とも重なり、まさに爽やかで軽快なトゥリーナ『円環』が朝にあたり、全体の構想を象徴する入子式の曲順だったように思えます。

トゥリーナの『円環』の構想に倣いますと、今回のプログラムでは「正午」の部分がラヴェルのピアノ三重奏にあたります。
まさかこの難曲が生演奏で、決して大きなホールとは言えないことが功を奏した、こんな至近距離で聴けるとは思ってもいませんでした。
大迫力の大熱演。

硬質で透明感のある蓜島さんのピアノがラヴェルによく合い、山本さんの精緻で確かなヴァイオリン、安心感のある山根さんのチェロ、3人の演奏家がどなたも、どんな曲を弾いても「自分の音楽」にしてしまうタイプの演奏家ではなく、楽曲そのものを大切にする奥ゆかしいタイプの演奏家で、どの曲も楽曲自体の良さがストレートに感じられてとても良かったです。

今回の演奏会のタイトルともなった日本初演のカステラ。
人生の秋から冬にかけて、都会で忙しく働き波瀾万丈の大活躍をした物語の主人公が、引退を経て自然豊かな故郷に戻り、穏やかな晩年を過ごしているかのような曲。
良い意味で民族的で土臭く、穏やかな日常にもさざなみのような波乱やイベントもあり。
たとえ第一線を退いたとしても、生き生きとした人の一生は続く。それは思っているよりもずっと豊かで長いものかもしれません。

アンコールはラヴェル『クープランの墓』より「メヌエット」。
この曲は切なく悲しげだったり、ミステリアスに聴こえることもありますが、この演奏会のアンコールとしてこのトリオが奏でると温かみを感じ、多幸感と共に大満足な終演を迎えられました。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.2 レポート Read More »

フェデリコ・モンポウ生誕130年記念公演「カタロニアの風」レポート

毎回、あまりにマニアックでニッチな企画のため、集客に苦労するみのりの眼のコンサート。
堅苦しく難解で馴染みのないものばかりでは?と思われるからかもしれません。
ただ、ひとたびその蓋を開けてみると、ほぼ初めて聴くその音楽は優しく穏やかで、疲れた心と身体にもスッと入り込む親しみやすいものばかり。
いつも聴く前には「わからない」ことに気後れして身構えてしまうのですが、その内容はギャップ萌えならぬギャップ癒しに遭って面をくらい、予期せぬ幸福感に包まれて帰路につくのです。

今回はフェデリコ・モンポウ。
モンポウはピアノ曲では聴いたこともあるかもしれませんが、ギターの入った弦楽アンサンブルで、世界初演曲も含む全て日本人編曲。
合唱曲『気球に乗ってどこまでも』の作曲者でもある平吉毅州さんの編曲、ギターと弦楽四重奏のオリジナル曲を軸に、今を生きる若手作曲家の松崎国生さん、今回のギター演奏者の徳永真一郎さんの編曲も加わります。

1986年に平吉毅州さんにより、ギタリスト鈴木一郎さんのために書かれたモンポウのギターアンサンブル編曲が、今こうして現代の日本の作曲家やギタリストたちによって受け継がれ広がりを見せていく。平吉毅州さんの仕事の一雫が、約40年後の今、若い日本人音楽家たちの手で再びモンポウとギターを繋ぎ、命を吹き込んだ演奏会でした。

スペイン、カタロニアというと、先入観からもっと光と影のコントラストの強い、明暗のくっきりした音楽を想像していましたが、実際にはその光と影はコントラストではなく、グラデーションとなっているかのような、非常に穏やかで繊細な音楽でした。これはギタリストの徳永さんの持つ資質も大きく影響しているのかもしれません。
ショパンやサティになぞらえることもあるモンポウの作曲のせいか、日本人の編曲と演奏のせいか、リズムやハーモニーの構造よりもメロディの強い歌心のある音楽だと感じます。 各自それぞれ違うパートを違う楽器で演奏しているのに、同じ旋律をユニゾンで歌っているかのような不思議な感覚です。

音楽学者の椎名亮輔さんによるプログラムノートに、モンポウの言葉としてこんな引用がありました。
「オレンジの木にオレンジ以外のものを求めてはいけない。ー中略ー 無理をして、自分の性格に合わない大規模な作品やオーケストラ作品を書くべきではないと思う。」
カタロニアのオレンジが、日本の地で芽吹き、その実を結実させたのだと思いました。

無理をして世の中で良いとされた誰かのようにならずとも、自分自身が自分自身のまま結実すれば良いのだ。
受け取り方は人それぞれですが、この演奏会の音楽を陳腐な言葉にまとめると、今のこの息苦しい日本で、このタイミングで、そんな未来へのメッセージでもあったような気もします。
これからもそんな説明や解説のその先にある何か言葉にはならぬ善きものを、音楽でお伝えすることが出来れば幸いです。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

フェデリコ・モンポウ生誕130年記念公演「カタロニアの風」レポート Read More »

倉田莉奈 コンセプチュアル・リサイタル vol.5 レポート

全5回に渡る倉田莉奈さんのコンセプチュアルシリーズ、今回が最終回の第5回目。
テーマは「いのりのおと」。

「祈り」というと有名な宗教曲ばかりが並ぶかと思いきや、そこは倉田さんのセンスが光るさすがの選曲。
穏やかな日もあれば、悲しく切ない時も、取り乱し錯乱しそうな時も。 そんな人一人、どんな人にも誰にでも起こり得る、日常の中で生きることそのものを俯瞰するかのような70分の物語。

誰かの一生を押し付けがましくなく、暖かく、寛容に見守る祈り。
その誰もが尊く、どの瞬間も尊く、それが「いのりのおと」となる。

言葉で書いてしまうと陳腐ですが、通常のコンサートよりも著しく明かりを落とし、拍手も休憩もない静寂の中で、ただ音楽に耳を傾けていると、きっとどの人にもそれが伝わっていたのではないかと思います。

それがコンセプトの説明ありきの現代美術とは大きく異なる点で、全ての演出、選曲、音楽そのものが、なんの言葉や説明を介さずともその真意が伝わるのです。
それはこの日この場で体感するパフォーマンスとして、大変に意義のあるものでした。

このシリーズ以前に倉田さんの演奏を聴いた際見えた、数少ない色で彼女の印象を判断してしまっていましたが、こんなにも引き出しの多い、様々な色の、大きな音楽をも持った音楽家であったことをまざまざと思い知らされた全5回のシリーズ。

この日の最後はベートーヴェンのピアノソナタ30番でしたが、失礼ながら最初の印象からはこんな大きな演奏が聴けるとは思いませんでした。

休憩なしで難曲の並ぶ、このハードなコンサートのシリーズは、きっとご本人の消耗も激しかったことかと思います。
それでもコンサートという場で出来る新たな可能性を、未来を見せてくれたこと、そしてそれを共有して下さった、ご来場いただいた全ての皆様に深く御礼申し上げます。

(文責:前原麗子(みのりの眼スタッフ))

倉田莉奈 コンセプチュアル・リサイタル vol.5 レポート Read More »

ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.1 レポート

『ルネ・ド・カステラ生誕150年記念 カステラとその周辺 〜フランス南部に響く心の音楽〜 』その第一回公演は、昨日満員のお客さまをお迎えして無事終了致しました。ご来場いただいた皆さま、また応援いただきました皆さま、誠にありがとうございました!

ルネ・ド・カステラの日本初演の歌曲、チェロ曲、そして昨年の日本初演後の再演となる「コンセール」を後半に、前半はカステラと繋がりが深かったセヴラック、ルーセル、そしてラヴェルの作品で構成された2時間を超えるプログラムでしたが、多くの皆さまにご満足いただけたようでホッとするとともにとてもうれしかったです。

まずは拙いナビゲーションに対するご批判が少なからずあったことについては真摯に受け止めて、次回以降の改善に繋げたいと思います。ご不快に思われた方については深くお詫び申し上げます。

しかし本編の演奏に対しては、相変わらずたくさん残された貴重なアンケートの全てが大絶賛ばかりで、また初めて聴くカステラの作品に対しても気に入っていただけたことも判断できて、企画者としてはその冥利に尽きる思いです。

カステラのメモリアルイヤーとは言え、彼の作品だけのプログラムにするのでなく、繋がりがありつつ、それぞれ作風の異なる同時代の作曲家の作品も並べることによって、19世紀末から20世紀の大戦期くらいまでのフランス音楽の多様な状況からカステラの位置を捉えていただくという目的もある程度伝わったのではないかと思います。

その中で明らかに秀でたラヴェルの作品を聴いた上でも、カステラの作品を聴いてその再演さえも望んでいただける声が多かったことで、「みのりの眼」の活動原理の2つ、すなわち「生の音楽を聴く新たな喜びを提供する」と「世の中で知られずにいる素晴らしいものに陽の目を当てる」がある程度達成されたと考えています。

しかしこれらは出演してくださった音楽家の皆さんの素晴らしい演奏やその他のご協力があってのことです。企画趣旨を理解いただき、そのそれぞれの楽曲に対して共感いただいたからこそ、あれほどの密なアンサンブルが実現したと思います。演奏家の皆さまにも感謝いたします。本当にありがとうございました!

お客さまも音楽家の皆さまも再演を望む声が多いので、その実現に向けてまた頑張りたいと思います。今回いらっしゃれなかった方もぜひいらしてください。

そして11月23日(祝)には第二回として、ホアキン・トゥリーナ、ラヴェル、そしてカステラのピアノ三重奏曲のコンサートを開催します。カステラのピアノ三重奏曲も名作の誉れ高い作品です。ご都合つく方はぜひいらしてください!

ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.1 レポート Read More »

徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル「在りし日の歌」

『徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル 〜在りし日の歌〜』、昨日たくさんのお客さまをお迎えして無事終了しました!いらっしゃっていただいたお客さま、どうもありがとうございました😊

昨年に引き続きこの素晴らしい響きのサルビアホール音楽ホールでの開催でしたが、今回もまたお2人は素晴らしい演奏を聞かせてくださいました。2人のそれぞれの個性が高いレベルで絶妙に絡み合い調和し、相乗効果が充分に働いていて、全ての音に命が宿っていました。

ギターの特性を知り尽くした、自身最高のギタリスト鈴木大介さんの編曲による2曲はもちろん、原曲はピアノ曲であるシューマン「子供の情景」も、ピアノ演奏に負けない隅々まで意識が行き届いた作品のポテンシャルが充分に表現されていました。

そしてセルジオ・アサドの組曲「夏の庭」全曲!
昨年のコンサートの打ち上げで、来年はこれをやろう!と自然と皆で湧き上がったアイデアでした。それがこれほどのハイクオリティな演奏で実現されたことに企画制作者としても本当にうれしかったです。たくさん集まったアンケートでもほとんどのお客さまがこの曲の演奏が特に印象に残ったようでした。それは終演後の割れんばかりの拍手喝采にも現れていました。

アンコールは新進気鋭の作曲家、松﨑国生さんによる、このコンサートのために編曲された名曲「スタンド・バイ・ミー」。本編のプログラムのテーマの流れにも沿って、しかしアンコールに相応しいジャズっぽいノリのよい音楽は自然にリラックスし身体も揺れるもので、お客さまも心地よく感じていただけたのではないかと思います。(期間限定で「みのりの眼」公式ページで公開できたらと思っています。改めてご案内します。)

この2人のデュオ、恒例のコンサートとして、来年もまたこの時期に行う予定です。ここでしか聞けない内容を用意してお待ちしております。今回ご来場できなかった方もぜひ来年はいらしてください!

徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル「在りし日の歌」 Read More »

七條恵子 フォルテピアノリサイタル

久しぶりに凄いものを聴いてしまった。
CDでは聴いていた音楽家、七條恵子さんのフォルテピアノのリサイタルだ。
改めて生と録音とでは天と地ほど違うことを思い知らされた。
 
使用楽器は、かつて僕にフォルテピアノの魅力を教えてくれた、今は亡き小島芳子さんの形見とも言うべき名器。
僕もかつて何度か聴いたはずだが、当たり前だけれど扱う人が変われば鳴る音も変わる。
記憶力には全く自信がないが、それでも今回初めてこの楽器の新たな魅力を発見した思いがした。
 
それを引き出した七條さんの演奏はまさに天才のそれというべきもの。
溢れ出るイメージに従い、繊細さも兼ね備えつつ自在に進んでいくそれは一回性そのもので、きっと同プロのこの後2回のリサイタルでの演奏はまた全く違うものになるだろう。
しかしそこに恣意性は全く感じられない。
これこそ音楽の真髄、表現の理想だと思う。
 
しかしそれだけこちらの感覚にビシビシくる並外れた集中力で演奏に向かうも、不思議とこちらに緊張を強いることはない。
むしろ聴いてる僕らも連れて飛び立つような軽やかさがひたすら心地よかった。
いやぁ、これやっぱり同プロの別公演聴きたいよ。
そんなことを強く思わせるコンサートだった。
 
文責:山田満

七條恵子 フォルテピアノリサイタル Read More »