みのりの眼

スタッフブログ

ルネ・ド・カステラ 生誕150周年記念 vol.1 レポート

『ルネ・ド・カステラ生誕150年記念 カステラとその周辺 〜フランス南部に響く心の音楽〜 』その第一回公演は、昨日満員のお客さまをお迎えして無事終了致しました。ご来場いただいた皆さま、また応援いただきました皆さま、誠にありがとうございました!

ルネ・ド・カステラの日本初演の歌曲、チェロ曲、そして昨年の日本初演後の再演となる「コンセール」を後半に、前半はカステラと繋がりが深かったセヴラック、ルーセル、そしてラヴェルの作品で構成された2時間を超えるプログラムでしたが、多くの皆さまにご満足いただけたようでホッとするとともにとてもうれしかったです。

まずは拙いナビゲーションに対するご批判が少なからずあったことについては真摯に受け止めて、次回以降の改善に繋げたいと思います。ご不快に思われた方については深くお詫び申し上げます。

しかし本編の演奏に対しては、相変わらずたくさん残された貴重なアンケートの全てが大絶賛ばかりで、また初めて聴くカステラの作品に対しても気に入っていただけたことも判断できて、企画者としてはその冥利に尽きる思いです。

カステラのメモリアルイヤーとは言え、彼の作品だけのプログラムにするのでなく、繋がりがありつつ、それぞれ作風の異なる同時代の作曲家の作品も並べることによって、19世紀末から20世紀の大戦期くらいまでのフランス音楽の多様な状況からカステラの位置を捉えていただくという目的もある程度伝わったのではないかと思います。

その中で明らかに秀でたラヴェルの作品を聴いた上でも、カステラの作品を聴いてその再演さえも望んでいただける声が多かったことで、「みのりの眼」の活動原理の2つ、すなわち「生の音楽を聴く新たな喜びを提供する」と「世の中で知られずにいる素晴らしいものに陽の目を当てる」がある程度達成されたと考えています。

しかしこれらは出演してくださった音楽家の皆さんの素晴らしい演奏やその他のご協力があってのことです。企画趣旨を理解いただき、そのそれぞれの楽曲に対して共感いただいたからこそ、あれほどの密なアンサンブルが実現したと思います。演奏家の皆さまにも感謝いたします。本当にありがとうございました!

お客さまも音楽家の皆さまも再演を望む声が多いので、その実現に向けてまた頑張りたいと思います。今回いらっしゃれなかった方もぜひいらしてください。

そして11月23日(祝)には第二回として、ホアキン・トゥリーナ、ラヴェル、そしてカステラのピアノ三重奏曲のコンサートを開催します。カステラのピアノ三重奏曲も名作の誉れ高い作品です。ご都合つく方はぜひいらしてください!

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徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル「在りし日の歌」

『徳永真一郎 & 松田弦 ギターリサイタル 〜在りし日の歌〜』、昨日たくさんのお客さまをお迎えして無事終了しました!いらっしゃっていただいたお客さま、どうもありがとうございました😊

昨年に引き続きこの素晴らしい響きのサルビアホール音楽ホールでの開催でしたが、今回もまたお2人は素晴らしい演奏を聞かせてくださいました。2人のそれぞれの個性が高いレベルで絶妙に絡み合い調和し、相乗効果が充分に働いていて、全ての音に命が宿っていました。

ギターの特性を知り尽くした、自身最高のギタリスト鈴木大介さんの編曲による2曲はもちろん、原曲はピアノ曲であるシューマン「子供の情景」も、ピアノ演奏に負けない隅々まで意識が行き届いた作品のポテンシャルが充分に表現されていました。

そしてセルジオ・アサドの組曲「夏の庭」全曲!
昨年のコンサートの打ち上げで、来年はこれをやろう!と自然と皆で湧き上がったアイデアでした。それがこれほどのハイクオリティな演奏で実現されたことに企画制作者としても本当にうれしかったです。たくさん集まったアンケートでもほとんどのお客さまがこの曲の演奏が特に印象に残ったようでした。それは終演後の割れんばかりの拍手喝采にも現れていました。

アンコールは新進気鋭の作曲家、松﨑国生さんによる、このコンサートのために編曲された名曲「スタンド・バイ・ミー」。本編のプログラムのテーマの流れにも沿って、しかしアンコールに相応しいジャズっぽいノリのよい音楽は自然にリラックスし身体も揺れるもので、お客さまも心地よく感じていただけたのではないかと思います。(期間限定で「みのりの眼」公式ページで公開できたらと思っています。改めてご案内します。)

この2人のデュオ、恒例のコンサートとして、来年もまたこの時期に行う予定です。ここでしか聞けない内容を用意してお待ちしております。今回ご来場できなかった方もぜひ来年はいらしてください!

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七條恵子 フォルテピアノリサイタル

久しぶりに凄いものを聴いてしまった。
CDでは聴いていた音楽家、七條恵子さんのフォルテピアノのリサイタルだ。
改めて生と録音とでは天と地ほど違うことを思い知らされた。
 
使用楽器は、かつて僕にフォルテピアノの魅力を教えてくれた、今は亡き小島芳子さんの形見とも言うべき名器。
僕もかつて何度か聴いたはずだが、当たり前だけれど扱う人が変われば鳴る音も変わる。
記憶力には全く自信がないが、それでも今回初めてこの楽器の新たな魅力を発見した思いがした。
 
それを引き出した七條さんの演奏はまさに天才のそれというべきもの。
溢れ出るイメージに従い、繊細さも兼ね備えつつ自在に進んでいくそれは一回性そのもので、きっと同プロのこの後2回のリサイタルでの演奏はまた全く違うものになるだろう。
しかしそこに恣意性は全く感じられない。
これこそ音楽の真髄、表現の理想だと思う。
 
しかしそれだけこちらの感覚にビシビシくる並外れた集中力で演奏に向かうも、不思議とこちらに緊張を強いることはない。
むしろ聴いてる僕らも連れて飛び立つような軽やかさがひたすら心地よかった。
いやぁ、これやっぱり同プロの別公演聴きたいよ。
そんなことを強く思わせるコンサートだった。
 
文責:山田満

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倉田莉奈 コンセプチュアル・リサイタル vol.4 レポート

人にはその人が存在するだけで発生してる、何か渦のようなものがあり、それが大きくて強いと、他者をも巻き込む影響があるのではないかと思う。
その渦が持つ質と力はまた別物で、どんなに良質でも訴求力の弱いもの、強力でもなんだか下品で俗っぽいとか、そんな感じで。

倉田さんの演奏会は回を重ねる毎に、どんどんとその渦の強さが増している。
彼女の持つセンスの良さ、ハウブロウな趣味と繊細さ。
むしろそれが仇となって、聴く人を選び、多くの人にはその良さが伝わりにくいのではないかという危惧は杞憂だった。

クープランもバッハもそんな力強さを持って始まる。
グラナドスの『アンダルーサ』は個人的に子供の頃から大好きな曲。
激情のまま突っ走る主題にくらべて、優しく甘い中間部を退屈に感じることも多い曲だけれども、彼女の演奏だとここが一番輝く。
なんと優しく繊細な。

そこで潮目が変わり、おそらく彼女の持つ良い資質が最も発揮される繊細でアンニュイな曲が続く。
ドラージュの『夏』にはフランス語の歌も入るのだけれど、力みなく自然で、私にはブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』を思い起こさせた。
自然の風や細波のように、あるべくして生まれて、そして流れて消えてゆく。

この日の2度目の潮目の変化はブラームスだろう。
流暢にフランス語を話す人のドイツ語。
違う言語を話すことを意識するのと同じで、ピアノの音も表現もはっきりと変化する。
そしてこの日の山のシューベルトのソナタ。

アンコールの坂本龍一では再び歌が。
ジブリ映画で宮崎駿は、専業声優の媚びた感じを嫌い、俳優を声優として採用するという話を思い出した。
倉田さんの歌には専業歌手が持つ力みがなくて、自然で美しい。
そんな魅力がある。

いつもながら選曲と曲順が一つの優れたアートになっている。
どんな曲であろうとも、たった一音が鳴っただけで聴く人を魅了し、その一瞬から惹きつけて止まない演奏家も、過去や未来、世界のどこかにはいるだろう。
だけれども、コンサート全体のコンセプトや構成、その流れと演出、演奏者の持つ資質をフルに活かす表現芸術であること。
それをここまでの完成度でプロデュース出来る演奏家は、そうはいないのではないかと思っている。

文責:前原麗子

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トマシュ・リッテル ピアノ・リサイタル

トマシュ・リッテルという名前よりも、きっと「川口成彦が2位だったショパンコンクールで1位をとったピアニスト」という方が通りが良いでしょう。
現に私もそうでした。
アー写ではいかにも今風の「成功した」美男美女風に撮られてしまっているけれど、実際にステージに現れた彼は違う。
「やあやあ、みなさん、本日のスターが登場しましたよ!」とばかりに拍手クレクレと登場する芸人や芸能人のような奏者も多い中で、彼は完全にオーラを消して現れ、まるで機械の修理に来たエンジニアのような雰囲気で、客など存在しないかのように気負いなく自然に弾き始める。
リッテルの師でもあるリュビモフの、クルクルと動き回りパタリと眠る多動の子供のようなモーツァルトを知っていると、少し動きが緩慢で重い気もしてしまうけれど、それは解釈や技術の問題ではなく、奏者と作曲家の気質の違いのように思う。
リュビモフの資質がモーツァルトに合致しすぎていたからかとも。
ベートーヴェンもショパンも素晴らしい。
これは個人的な受け取り方に過ぎないけれども、ショパンをただ感傷的に甘ったるく甘美にだけ弾かれることも多い中、私にはショパンの曲とは、この世に閉じ込められて出られない絶望と諦観の音楽のように感じられていました。
この世はろくでもない牢獄でもあるけれど、だからこそ、諦めて美しい良い面に目を向けて前向きに強く生きなくては!という気にさせる奏者も稀にはいます。
でもリッテルの『24の前奏曲』はそれ以上でした。
突然ですが『トゥルーマン・ショー』という映画をご存知でしょうか。
主人公が虚構の世界に気付き、全力でそこからの脱出を試みるという物語。
リッテルの『24の前奏曲』からは、そんな気概が感じられて、おそらくショパン自身が初期設定した世界観からも先に進めてしまっているのではないかと。
諦めて安住するのではなく、立ち向かう音楽に、思わず落涙。
「私の解釈」「私の音楽」それを認められたいがために必死で努力し、そうなった暁が夢であり成功であるという人も多いでしょう。
個人が社会的な地位を得るための手段としての音楽、それはエゴの音楽でもあり、小さな小さなごく個人的な音楽です。
そういうものを聴いていると、逆に何かを奪われるようだといつも思います。
「私が輝きたい」「私がスポットライトを浴びたい」、そのための外部装置にさせられてしまうんです。
リッテルはまずは作曲家に、次に音楽に、そして音楽の背後にある大いなるものに。
それらのために全力を尽くした後に全てを明け渡し、良き霊感を待つ音楽でした。
持ち上げられたスターと、その持ち上げ要員としての観客、という役割を強要されていると感じることがままあります。
教祖がいて信者がいて、その依存関係のためにお金を介す宗教団体化してしまう。
でもこんな音楽の前では、そのようなくだらない既存の枠組みが崩壊してしまう。
個人崇拝ではなく、一人一人が自らの足で立ち、大いなるものに個人でつながることが可能になってしまうから。
そんな解放の音楽でした。
素晴らしい。

文責:前原麗子

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ルネ・ド・カステラについて(2)

凱旋門の近く、シャンゼリゼ大通りから一本裏にあるシャンゼリゼ劇場、その内部装飾を任されたひとりにモーリス・ドニがいました。そして彼は天井画を描いたのですが、そこにはなんとピアノを弾くブランシュ・セルヴァと譜めくりをするルネ・ド・カステラが登場しています。

私は今回カステラの生誕150年にちなんだコンサートをするにあたって、いろいろ調べているうちにこのことを知ったのですが、いざこの絵を見た時に「おや?この絵には見覚えがある…」と感じました。なんてことはない、カステラの孫たちが書いたカステラの評伝の表紙にこの絵は使われていたのです。ちゃんと表紙裏のキャプションを見ていればそのこともとっくに知っていたのでしょうが。

まぁそれはともかく、モーリス・ドニとスコラ・カントルムの音楽家たちの交友についてはよく知られていますが、そうでなくともセルヴァとカステラがパリ中心の劇場の天井に描かれているというのは、当時の存在の大きさを示していると感じざるを得ません。

セルヴァはリカルド・ヴィエニスと並んで当時の重要な二大ピアニストのうちのひとりだから何をか言わんやですが、カステラも実は当時のパリの音楽家たちの中心にいたと言っても過言ではありません。というのも、前にも書いた通り、彼はさまざまなサロンやコンサートといった集まりに足繁く通ったり、スコラ・カントルムで卒業後もその秘書として働いたりすることで、当時パリにいたほとんど全ての音楽家と繋がりを持っていましたし、楽譜出版社を設立し、音楽家たちが自らの譜面を出版しやすい状況を作ったからです。

つまりカステラもまたこのシャンゼリゼ劇場の天井に描かれるに相応しい、フランス音楽への大きな貢献を果たしたのです。だからこそ、その美しく優雅な作品とともに今再び評価すべき人だと僕は確信しています。

さてひとつ謎が残っていて、それはこのヴァイオリンを弾いている女性は誰かということです。これは明らかにされていないので推測するしかないのですが、ノエラ・クジンではないかと言われています。

ノエラ・クーザン。同い年のガストン・プーレ宛に、ピアノとヴァイオリンのためのソナタを書き捧げた年にドビュッシーが書き送った手紙にも言及されてるそうです。彼はベレー帽かぶって妙に元気な彼女をみて音楽がわかるのか訝しがったそうですが、翌年彼女はバイヨンヌやポーでドビュッシーの当該ソナタを弾いたそう。またクライスラーによる擬古作風のバロック作品も鮮やかに弾いたそうです。

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ルネ・ド・カステラについて(1)

今年2023年に生誕150年を迎えたフランスの作曲家ルネ・ド・カステラ。それにちなんだ2回のコンサートを企画したわけですが、そもそもカステラって誰よ?という方がほとんどだと思うので、彼についてざっと説明します。

フランス音楽の中心的存在であるバスク・ランド地方の作曲家ルネ・ダヴザック・ド・カステラは、1873 年 4 月 3 日、フランス南西部ランド地方のダクスという町に生まれました。

ダクスで名ピアニスト、フランシス・プランテに注目された彼は、1891 年に 18 歳でパリ音楽院に進学しました。その後 1896 年に開校した音楽学校スコラ・カントルムの最初のクラスに入学しますが、その中には同じフランス南西部出身の作曲家セヴラックも含まれていて、彼とはすぐに深い友情が築かれました。

1898 年末、カタルーニャの有名なピアニストで作曲家のアルベニスがスコラ・カントルムのピアノコースの教授となりますが、そこでの最高の弟子はセヴラックとカステラでした。その後この 3 人は親友となります。

また 1899 年には、当時 15 歳の天才ピアニスト、ブランシュ・セルヴァがスコラ・カントルムに入学し、3 年後にはピアノコースの教授となります。カステラとセヴラックはアルベニスと同様に彼女とも親しい間柄となりました。またセルヴァが開いた音楽サロンにはカステラやセヴラックのほか、ダンディ、アルベニス、ルーセル、カントルーブなどが集まり、親密な時間を過ごしました。

カステラはコンサートホールや音楽サロンにも頻繁に訪れ、当時のほとんどの音楽家と出会い、頻繁に交流しました。すでに述べた音楽家以外にも、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー、ショーソン、デュカスなど多数に渡ります。さらにその後スコラ・カントルムの秘書となったときにはフランスのほか、ベルギー(イザイなど)、スペイン(グラナドスなど)の音楽家のほとんどと交流する機会を得ました。

1902 年、カステラは、多くの作曲家がより容易に作品を出版できるよう、「エディション・ミュチュエル」という出版社を設立しました。その結果彼と繋がりのある多くの作曲家が自らの作品をこの出版社から世に出すことができました。その中にはアルベニスの傑作『イベリア』もあります。

このようにカステラは当時のフランス音楽界を語る上で、欠くことのできない重要な人物です。

そんなカステラの作品の多くは、ランド県の実家で過ごした休暇中に作曲されました。今回演奏する作品もみなそうで、ランド地方とバスク地方の雰囲気を背景とした優雅なものばかりです。それらは彼がつきあった本当にたくさんの作曲家の作品とくらべても遜色はありません。

ぜひこの機会にお聞きいただきたいと思います。

*この内容はカステラの孫のアンヌさんによるバイオグラフィーをもとにまとめました。

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